種類 |
発行又は発表の年月 |
著書、学術論文、作品等の名称 |
発行又は発表雑誌等又は発表学会等の名称 |
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概要 |
著書(単著) | 2002年10月 | 日本の技術協力をどう利用するか? | 国際協力事業団 | |
日本におけるODAをめぐる様々な議論を踏まえ、2001年10月に「対中経済協力計画」が発表されるなど、日中関係の新たな情勢の中で、日中技術協力の転換期とも言うべき時期を迎えた。
その機会を捉え、JICAルートの技術協力の全体像と具体的な手続きについて、中国側関係者の立場に立って分かりやすく解説したもの。中国語及び日本語版を作成。 |
著書(単著) | 2008年12月 | 日中関係とODA-対中ODAをめぐる政治外交史入門 | 日本僑報社 | |
本書は、日中関係の四つの基本文書と対中ODAの相互関係を、政治外交史的観点から整理・考察を試みたものである。第一章においては1972年の日中共同声明を取り上げ、日中国交正常化までの歴史的プロセス、歴史的意義を「1972年体制」の形成の観点から考察する。第二章においては、中国との国交正常化と比較する観点から、アジア諸国との戦後処理について、概観する。第三章においては、1978年の日中平和友好条約及び翌年の大平総理訪中から開始された対中ODAについて、「1979年体制」の政治構造の観点から考察する。第四章においては、1998年の江沢民訪日の際の共同声明の前後の日中関係とODAをめぐる政治的環境の変化、世論の動向に着目し、対中円借款終了決定までの軌跡を跡付ける。最後の第五章においては、首脳外交が再開された2006年秋から胡錦涛主席訪日までの日中関係とODAの動向をレビューした上で、特に2008年5月に発生した四川大地震に対する日本の緊急援助と日中関係について考察する。 |
著書(単著) | 2011年11月 | 「対外援助国」中国の創成と変容1949-1964 | 御茶の水書房 | |
本研究は、非DACの援助とはいかなるものであったのか、とりわけ冷戦期の旧社会主義圏がどのような援助を、如何なる動因、政策、体制のもとで実施してきたのかを論考するため、その一環として、建国期から今日まで一貫して社会主義を掲げる最大の開発途上国であり、さらに今日の非DAC「新興ドナー」の代表格として注目度が高い中国を事例として取り上げ、「対外援助国」中国の創成期についての総合的な研究を、比較政治論的なアプローチにより試みることを目的とするものである。
上記研究に際し、「援助の受け入れ(被援助)と援助の提供(対外援助)はなぜ同時に行われることがあるのか」に着目しつつ、戦後復興から新国家建設の途上にあった中国が、対外援助の体制整備と経験を積みながら「対外経済技術援助八項原則」を有する対外援助国に変化していく1949年から1964年までを対象として、当該時期の中国の対外援助について、「理念・動因」「実績・方法」「実施体制」の観点から多角的に考察することにより、その創成と変容過程を描くものである。 |
著書(単著) | 2014年2月 | ぼくらの村からポリオが消えた―中国・山東省発「科学的現場主義」の国際協力 | 佐伯印刷(株)出版事業部 | |
「小児マヒ」の通称で知られるポリオ。日本においては1960年代に姿を消したが、世界ではその後も猛威をふるい続けていた。なかでも、最も対応が急がれる地域の一つだったのが、世界最大の人口と、貧しい農村地域を無数に抱えた中国であった。1990年、問題解決に乗り出した日本人・中国人の混成チームは、山東省の農村の深層に分け入り、ひたむきに真実を追究する。協力が奏功し、蔓延していたポリオは90年代半ばには急速に収束に向かう。WHOはついに2000年、西太平洋地域からポリオが撲滅されたことを正式に宣言した。日中混成チームは、どのようにポリオ撲滅に取り組み、なぜこの奇跡を成し遂げることができたのか。その足跡を追う。 |
著書(単著) | 2019年7月 | 日中未来遺産 中国「改革開放」の中の“草の根”日中開発協力の「記憶」 | 日本僑報社 | |
本書においては、改革・開放政策が開始された1980年代から90年代において民間ベースでの‘草の根’レベルで顕著な開発協力成果を挙げ、中国側から高い評価を得た代表的な事例として、日本人専門家4名にスポットを当て、それぞれの協力のプロセスを跡付け、コメモレイションの視座からの考察を試みる。
第1章では、「戦争のコメモレイション」、「国際人道主義のコメモレイション」、「開発協力のコメモレイション」の3つのコメモレイションが共存する記憶の場として、黒龍江省方正県での藤原長作の寒冷地稲作技術協力を取り上げ、「開発協力のコメモレイション」の今日的意義を考察する。
第2章では、水稲畑苗移植技術を伝授普及させるために、黒龍江省を拠点に全国を巡回指導し、コメの増産に貢献し、長江を越えた湖南省長沙市内の公園に胸像が建立された原正市の事例を取り上げる。
第3章では、スイカの品種改良に心血を注ぎ、北京の人気銘柄となった「京欣一号」に名前の一文字が採用された森田欣一の事例を取り上げる。
第4章では、大分県という一地方を起源とする地域開発の理念と実践である“一村一品”が中国でも広く受容された平松守彦の事例を取り上げ、改革開放40年が経過した今日、なぜ“一村一品”が再び脚光を浴び、新たな展開を見せているのかを考察する。
「おわりに」においては、以上の事例研究と考察を踏まえ、日中の未来に向けた課題と提言を論じる。 |
著書(共著) | 2010年8月 | 「日本対華政府開発援助計画(ODA)中的人材培養事業」『改革開放与留学日本』第10章 | 中国・社会科学文献出版社 | 130-153 |
日本の政府開発援助における人材育成分野について、人材育成事業の対中ODAにおける位置づけ、技術協力による人材育成事業、円借款による人材育成事業、無償資金協力による人材育成事業の順に、その概要を解説したもの。 |
著書(共著) | 2013年11月 | 「中国」『国際保健医療学第3版』第5部05-10 | 杏林書院 | 252-256 |
日本国際保健医療学会が編纂した「国際保健医療学」の教科書において、国別事例として「中国」に焦点を当てて解説したもの。「1.国の概況」「2.保健医療の現状(疾病構造、保健システム)」「3.保健医療の課題(衛生系統、計画生育系統、中国の医療保険制度の変遷)」について論じている。 |
著書(共著) | 2024年10月 | 現代中国の腐敗と反腐敗 汚職の諸相と土壌 | 法政大学出版局 | 247-269 |
建国から改革開放を経て、習近平体制下のネット社会にいたるまで、共産党一党支配のなかで政治家や官僚、企業家の犯罪や不正行為が絶えない中国。社会の隅々で、膨大な腐敗事案はなぜ発生し、どんな力学で蔓延してきたのか。そして法令・紀律違反の摘発や告発(反腐敗)は、体制側によってどう利用されてきたのか。本書は、超大国のはらむ重大な国家的問題に深く多面的に切り込む最新共同研究の成果である。
では、日本と中国がそれぞれ“新興ドナー”として台頭していく過程において,腐敗の誘因と制約に関し,日中は共通点を有していたのだろうか。有していたとすると,それは中国の反腐敗にとって「他山の石」となるのだろうか。
筆者が担当する第10章は、上記の問題意識から出発し,日本のODA の発展過程で発生した腐敗事案を「行政と市場の接点」の視角からレビューし,中国の公共調達と対外援助における腐敗の誘引と制約要素との対比を通して「“一帯一路:廉潔之路”に,日本の“失敗”経験は活かせるか?」を考察することを目的とするものである。 |
学術論文(単著) | 1997年1月 | 中国国有企業改革の動向と国際協力 | 国際協力事業団『国際協力フロンティア』通巻4号 | 34-48 |
中国が進める国有企業改革に関し、①これまでの中国の国有企業改革のレビュー、②新たに展開されているモデル企業、モデル都市などを通じた4つの具体的施策の整理・分析、③中国の国有企業改革の枠組みに関する仮説の提示と今後の国有企業改革の方向性に関する考察、④日本の政府開発援助がこれまで行ってきた国有企業改革への協力の概括と今後のアプローチについての試論の検討を行ったもの。 |
学術論文(単著) | 2003年10月 | 中国におけるODA研究から見るODA観と日中関係 | 独立行政法人国際協力機構『国際協力研究』通巻38号 | 22-30 |
中国の研究者が①対外援助、とりわけ日本のODAを研究する意義を如何に捉え、如何なる枠組みでこれらを分析・解釈したのか、②戦後日本のODAの発展・変遷を如何に理解・解釈したのか、③他方、中国自身は、「受援国」となるために如何なる転換があったと捉えたのか、④冷戦後の日本の対中ODAに関する政策調整を如何に理解・解釈し、また日本のODAを21世紀における中国の発展戦略と日中関係において如何に位置付けているか、について、中国のODA観の特徴を整理し、その示唆するところを考察したもの。 |
学術論文(単著) | 2005年12月 | 対中ODAの始動をめぐる「危機」と「和解」の政治構造―1976-1982年を中心に― | 法政大学大学院修士学位論文 | |
対中ODAの始動期である1976年から1982年における日中を取り巻く国際環境に着目しつつ、日本の対中ODA「供与」政策と中国の対日ODA「受け入れ」政策がそれぞれどのような背景と原因により、どのような政治過程を経て形成されたのか、またODAをめぐり諸国家間、諸アクター間、諸政策間にいかなる相互作用があったのかを踏まえ、その政治構造の全体像を解明したもの。 |
学術論文(単著) | 2007年4月 | 日中「戦後和解」プロセスと経済協力「1979年体制」をめぐる一考察 | アジア政経学会『アジア研究』第53巻第2号 | 76-90 |
本稿では、まず日中「戦後和解」プロセスについて、議論の前提となる基本的な整理を行ない、次に対中経済協力の原点である1970年代にスポットを当て、特に対中ODAの始動をもたらした政治構造を「1979年体制」と捉え、その構造を多角的に解明する。さらに、「戦後和解」プロセスと「1979年体制」の相互関係を明らかにしつつ、「未完の戦後和解プロセス」について考察する。 |
学術論文(単著) | 2007年9月 | 中国の外国技術・資金導入政策転換をめぐる一考察-「洋奴哲学」批判から対中ODA受容に至る政治的ダイナミズム- | 日本現代中国学会『研究年報 現代中国』第81号 | 197-205 |
中国は、中ソ関係が悪化した1960年代以来、いかなる外国借款、投資、援助も受け取らないとの政策を採った。特に文革期においては「自力更生」のスローガンの下、外資・外国援助の利用に対しては「洋奴哲学」との批判が浴びせられ、イデオロギー的タブーの領域となっていた。ところが、毛沢東の死後わずか3年後の1979年に中国は日本の円借款、すなわち外国援助の受け入れを決定したのである。中国はこうした政策の大転換を、何故、どのように行ったのか。本論はこうした問題意識に基づき、1976年から1979年までを射程に、中国の外国技術・資金導入政策転換をめぐる政治過程をあとづけ、対中ODAの受容に至る政治的ダイナミズムの考察を行なうものである。 |
学術論文(単著) | 2010年6月 | 「対外援助国」中国の創成と変容-援助の比較政治論的アプローチの試み- | 法政大学大学院博士学位論文 | |
本研究は、非DACの援助とはいかなるものであったのか、とりわけ冷戦期の旧社会主義圏がどのような援助を、如何なる動因、政策、体制のもとで実施してきたのかを論考するため、その一環として、建国期から今日まで一貫して社会主義を掲げる最大の開発途上国であり、さらに今日の非DAC「新興ドナー」の代表格として注目度が高い中国を事例として取り上げ、「対外援助国」中国の創成期についての総合的な研究を、比較政治論的なアプローチにより試みることを目的とするものである。
上記研究に際し、「援助の受け入れ(被援助)と援助の提供(対外援助)はなぜ同時に行われることがあるのか」に着目しつつ、戦後復興から新国家建設の途上にあった中国が、対外援助の体制整備と経験を積みながら「対外経済技術援助八項原則」を有する対外援助国に変化していく1949年から1964年までを対象として、当該時期の中国の対外援助について、「理念・動因」「実績・方法」「実施体制」の観点から多角的に考察することにより、その創成と変容過程を描くものである。 |
学術論文(単著) | 2015年12月 | 改革開放初期における日中経済協力の形成・発展過程―中国・国営工場の「潜在力発掘、革新、改造」を事例として― | 国立政治大学国際関係研究センター『問題と研究』第44巻4号 | 91-128 |
改革開放初期、日本は官民一体となって中国の工場近代化協力に乗り出し、その後約20年にわたり同協力を継続していった。朱鎔基元総理と強い結びつきを有していたこの事業の展開を跡付け、国有企業改革、外部環境の変化の中の「対応」と「転型」について考察する。 |
学術論文(単著) | 2016年3月 | ラオス村落開発支援の実践から見た大学におけるグローバル人材育成の課題と今後の可能性 | 拓殖大学国際開発研究所『国際開発学研究』第15巻第1号 | 19-40 |
Takushoku Volunteer Team(TVT)のラオス村落開発支援の実践経験をレビューし、その実践経験を「学びのプロセス」と捉えて跡付けるとともに、グローバル人材育成に関する知見・課題を考察したもの。 |
学術論文(単著) | 2017年3月 | 改革開放初期の中国における外国技術の導入過程―障害者リハビリテーション技術導入を事例として― | 拓殖大学国際開発研究所『国際開発学研究』第16巻第2号 | 23-37 |
鄧樸方関連の著作物を手掛かりに、中国リハビリテーション研究センター設立構想を跡付けることにより、改革開放初期の中国における技術導入過程とそのダイナミズムについて考察したもの。 |
学術論文(単著) | 2017年9月 | 中国の国際反腐敗協力の新展開―「一帯一路:廉潔之路」は実現できるか?― | 拓殖大学海外事情研究所『海外事情』第65巻9号 | 58-74 |
中国は国際社会の動きと連動しつつどのように国際反腐敗協力を展開してきたのか、とりわけ、習近平政権下での活発な国内外の動きを跡付け、中国が進める国際反腐敗協力が直面している課題、今後の中国の国際反腐敗協力のゆくえについて考察したもの。 |
学術論文(単著) | 2017年12月 | 改革開放の中国における「引智工作」と日本―外国人専門家表彰活動を手掛かりに― | 拓殖大学国際開発研究所『国際開発学研究』第17巻第1号 | 1-16 |
改革開放路線に転換した中国は、いかなる政策、具体的な方法によって外国の技術・知見を取り込んできたのか、またその中で日本人専門家の役割はどのように位置づけられるかを考察したもの。 |
学術論文(単著) | 2018年11月 | 開発協力のコメモレイションをめぐる一考察―中国・黒龍江省方正県における藤原長作の稲作協力を手掛かりに― | 拓殖大学国際開発研究所『国際開発学研究』第18巻第1号 | 1-20 |
黒龍江省方正県で展開された藤原長作氏の稲作協力を手掛かりとして、「開発協力のコメモレイション」の今日的意義を考察したもの。 |
学術論文(単著) | 2021年3月 | 中国のインフラ建設プロジェクトにおける腐敗リスクと公共調達関連法 | 拓殖大学国際開発研究所『国際開発学研究』第20巻第2号 | 1-22 |
中国における公共調達関連法の整備を通じた腐敗抑制メカニズムに着目しつつ、中国のインフラ建設における腐敗リスクとその構造、それらに対する法に依る腐敗抑制の効果とその限界について明らかにしたもの。 |
学術論文(単著) | 2021年10月 | 中国の対外援助改革と反腐敗―公共調達制度整備の視角から― | 拓殖大学国際開発研究所『国際開発学研究』第21巻第1号 | 37-62 |
“一帯一路”における腐敗リスクとその構造に着目しつつ、中国におけるこれまでの対外援助改革を跡付け、対外援助領域における腐敗抑制の制度化と公共調達制度整備との関係を明らかにしたもの。 |
学術論文(単著) | 2022年3月 | 日本のODA発展史から見た腐敗と反腐敗 | 拓殖大学国際開発研究所『国際開発学研究』第21巻第2号 | 1-35 |
戦後から今日に至る日本のODA発展史の中で発生した腐敗事案の原因、腐敗発生への対応、腐敗抑制のための制度整備等を分析し、「失敗」の原因をを明らかに、教訓を導きだしたもの。 |
学術論文(単著) | 2023年3月 | 国境離島の開発と安全保障から見た腐敗と反腐敗―前宮古島市長収賄事件を事例として― | 拓殖大学国際開発研究所『国際開発学研究』第22巻第2号 | 23-47 |
自衛隊新駐屯地建設用地取得をめぐり、2021年5月に収賄罪で逮捕された前宮古島市長を事例として、国境離島を舞台とした開発と安全保障をめぐる腐敗の構造とメカニズムを明らかにすることを目的とするもの。 |
学術論文(単著) | 2023年12月 | 琉球弧をめぐる国際環境の変容と越境地域開発協力の新展開
―「黒潮生活経済圏」構想を手がかりに― | 国立政治大学国際関係研究センター『問題と研究』第52巻4号 | 31-70 |
日本の西端・与那国島と台湾間の境界は、戦前の「開放的境界」から戦後「障壁的境界」へと激変した。与那国は2005年、台湾との国境交流を通じ地域活性化を目指す「自立ビジョン」を策定し、再び「開放的境界」への転換に挑戦したが、国の規制の壁に阻まれている。これは越境地域開発協力を志向する「内発的発展」が「外部環境」により封じ込まれた事例と捉えられる。「自立ビジョン」が行き詰まると、自衛隊駐屯地との共存、安全保障予算獲得による町の生き残りに軸足を移す動きが始まり、与那国の越境地域開発の方向性に分岐が見られる。
本論考は、こうした背景を踏まえ、東アジアにおける越境地域開発の新たな展開事例として①台湾東部と先島諸島をつなぐ「黒潮生活経済圏」構想、②金門島―福建省を軸とした両岸発展協力、③沖縄県の「地域外交」を取り上げ、与那国―花蓮を結節点とした越境地域開発協力への道筋を考察することを目的とするものである。 |
その他(単著) | 1996年8月 | 「中国における市場経済化のための諸施策について」『市場経済化に関する基礎研究』報告書別冊資料集 | 国際協力事業団国際協力総合研修所 | 16-22 |
市場経済化支援の方向性を検討するにあたって、中国を題材にとして、①中国の市場経済化へのアプローチの特徴、②中国の市場経済化とは何か、③中国の市場経済化の何に対し、どのような協力をしてきたのか、今後協力できるのか、等について考察を行ったもの。 |
その他(単著) | 2005年5月 | SARSとの戦いに役立った対中ODA | 人民中国出版社『人民中国』2005年5月号 | 46-47 |
2003年春に猛威を振るい、世界を震撼させたSARSに対し、日本政府が実施した緊急無償援助の現場を訪問し、関係者からの証言をを踏まえ、SARS発生以後の経過、対中ODAがどのように行われたことを振り返ったもの。 |
その他(単著) | 2014年7月 | ポリオ撲滅から見る日中医療協力の人的アセット | 日中経協ジャーナル | 18-21 |
対中ODA35周年の節目を捉え、ポリオ撲滅を事例に、中国の公衆衛生の実態と協力事業の展開について概述し、それを踏まえて日中医療協力の「アセット」活用について論じたもの。 |
その他(単著) | 2015年10月 | 中国国営企業の「潜在力発掘、革新、改造」に日本はどう協力したか | 日中経協ジャーナル | 20-25 |
1980年から開始された中国工場近代化への協力の成立と発展過程を跡付け、その意義を再検証したもの。①日中共通の利益、②各アクター間の緊密な連携、③技術者同士の直接交流、④朱鎔基の存在、外部環境の変化と「転型」の観点から考察を行う。 |
その他(単著) | 2017年12月 | 「平和の時代のベチューイン」藤原長作と「旅日僑郷」方正県を訪ねて | 星火方正 25号 | 83-98 |
日中開発協力史の事例として、日本と歴史的因縁が深い東北地区において、改革開放初期にどのように日中協力が展開されたのか。黒竜江省方正県において、寒冷地における稲作技術協力を長期に渡り実施し、高い評価を得た藤原長作の足跡を辿ったもの。 |
その他(単著) | 2019年2月 | 第三国での連携に踏み出した新時代の日中協力―「1979年体制」から「2019年体制」移行の画期 | 国際開発ジャーナル | 10-12 |
2018年10月、北京を訪問した安倍首相は李克強首相、習近平国家主席との会談で、中国に対する日本の対中ODAの新規供与を終える一方、新たな日中協力として第三国市場の共同開発や開発分野の対話、人材交流などを進める方針に合意した。この機会を捉え、これまでの対中ODAを振り返り、新時代の展望について論じたもの。 |
その他(単著) | 2019年5月 | 中国年鑑 2019 | 一般社団法人中国研究所 編 | 裏表紙の裏側 |
対中国政府開発援助(ODA)主要案件マップを作成し、対中ODAの40年間で実施した代表的案件を俯瞰できるようにしたもの。 |
その他(単著) | 2019年12月 | 『日中未来遺産』を上梓して―藤原長作の「記憶」を日中の未来に向けた「遺産」に― | 星火方正 29号 | 66-68 |
2019年7月、日本僑報社から上梓した『日中未来遺産 中国「改革開放」の中の“草の根”日中開発協力の「記憶」』の趣旨、概要、書評等を紹介したもの。 |
その他(単著) | 2022年7月 | 「対中抑止のフロンティア」か?「平和の緩衝地帯」か? : 琉球弧から考える中国・台湾 | 国際善隣協会『善隣』第526号、通巻793号 | 12-19 |
「対中抑止のフロンティア」としての琉球弧の実相を報告するとともに、琉球弧が東アジアとの交流・協力による発展にどのように取り組んでいるか、与那国島を事例に論じたもの。 |
その他(単著) | 2022年9月 | 「卒業国」との関係づくりに生かす アセットを活用し平和と発展を追求 | 国際開発ジャーナル | 22-27 |
中国に対する政府開発援助(ODA)は、2022年3月で約40年の歴史に幕を閉じたが、激変する世界情勢の中、「ODA卒業国」中国との新しい関係構築の在り方が問われている。こうした背景を踏まえ、ODAアセットを活用しながら挑む新しい可能性を論じたもの。 |
その他(単著) | 2024年5月 | 中国・平潭島の「琉球墓園」 | 琉球新報 | 2024年5月1日(9)文化面 |
那覇市の友好都市である中国・福建省福州市の平潭島に、地元政府の尽力で琉球接貢使の墓碑が再建された。現地調査を踏まえ、この墓碑をめぐる中琉関係史を明らかにし、新たな沖縄・中国・台湾の越境地域開発協力と交流の場としての平潭島の意義を提起したもの。 |
その他(共著) | 2001年4月 | 事業戦略調査研究『平和構築―人間の安全保障の確保に向けて―』第1章1-2他執筆分担 | 国際協力事業団国際協力総合研修所 | 10-20 |
平和構築実施に際しての法的枠組みとして、「開発と平和をめぐる法的枠組み」「PKO法・JDR法(国際緊急援助隊の派遣に関する法律)・JICA法の相互関係」「その他関連法等」について論じたもの。 |
その他 | 2024年5月 | “「一帯一路」共同建設”
中国人記者が見た最前線 | 国際開発ジャーナル | 48-49 |
人民日報国際部・日中交流研究所編『「一帯一路」共同建設10周年 現地レポートから見る実情と全体像』日本僑報社、2023年の解説を行ったもの。同書は、中国が2013年から行っている「一帯一路」について、中国の新聞社、人民日報の記者らが見てきたことをまとめたレポートで、岡田実が監訳。 |